ゲド戦記、「テルーの正体」から分かる2つのメッセージ
宮崎駿氏の息子・宮崎吾郎が父に代わってメガホンをとった「ゲド戦記」。
スタジオジブリ映画の監督を務めて一作目であるためかファンからの評判はいまいちで、興行成績もあまり振るわなかった同作品。
ただ、主題歌の美しさなどが相まってコアな人気を誇っています。
そんな「ゲド戦記」に登場するヒロイン・テルー。
顔にやけどの跡を持ち、生命を粗末にする人間には決して心を開かない彼女は映画のストーリーを進めていく上での重要なキーパーソンです。
「ゲド戦記」ではテルーがドラゴンに変身して強いパワーを発揮しますが、その正体に隠されたジブリのメッセージが何とも意味深だと視聴者たちの心を騒がせているのです…
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テルーの正体はドラゴン
映画「ゲド戦記」を実際に観た方は、すでにテルーの正体がドラゴンだとご存知ですね。
テルーの正体に取り掛かる前に、ここで「ゲド戦記」のストーリーを整理したいと思います。
心に傷を持ち国から抜け出した賢王の子息・アレン(レバンネン)。
彼は大賢者であるハイタカ(ゲド)と出会い、当時起こっていた災いの根源を突き止めるために旅へ出ます。
旅の途中、顔にやけどの跡を持つ少女・テルー(テハヌー)と遭遇してストーリーが始まっていきます。
そのとき、「ゲド戦記」の舞台である多島海世界・アースシーではドラゴン達が共に傷つけ合う現象が起きていました。
人間界でも重要な役割を持っていた魔法使いが力を失うなどの混乱も生じており、どちらとも落ち着かない状態にありました。
人間界の混乱はハイタカを憎む悪徳魔法使い・クモの仕業によるもの。
アレンやハイタカ、テルーは彼の世界征服の試みを阻止しようとするものの、3人は窮地に陥ってしまいます。
アレンとハイタカになす術がない中、突然テルーがドラゴンになってクモを成敗。
その後テルーの正体がドラゴンであり、人間界に現れた龍族の仲間だったことが判明するのです。
アレンとハイタカ、そして人間界のピンチが救われてホッとしたものの、視聴者としては「なぜテルーが突然ドラゴンになったのか?」と混乱を隠せなかった様子…
テルーは人間として生きることを選んだ龍族の子孫
「ゲド戦記」の設定ではテルーの他にも、ドラゴンとしての正体を持ちながら人間として生きる龍族の仲間が多いですよね。
龍族はとあるきっかけで人間界に降臨し、ドラゴンである自分を捨てて人間として生きる道を選んでいます。
つまり彼女は、その龍族の子孫であることが分かります。
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しかし映画の終盤になって、初めてドラゴンとしての姿を見せたことから分かる通り、テルーはそれまで自身の正体について知りませんでした。
彼女に限らずそのような生き方をしている龍族は少なくないとのこと。
実際に、テルーはドラゴンに変身する前に何度かピンチに遭遇…
そこで正体であるドラゴンに変身してパワーを発揮しなかったのは、彼女の潜在意識の中に人間として生きる意志があったからだとも言われています。
「テルーの正体」から読み取れる現代社会への警告
ハイタカよりも強力化してしまったクモをあっけなく倒すなど、ドラゴンとしてのテルーは強力なパワーを持っています。
しかし本当に、ピンチの時でなければそれを発揮する機会に恵まれませんでした。
本来持っている力があるのに、人間界で暮らす中で忘れてしまっている。
そんな彼女の生き様は「ゲド戦記」を通じた現代社会に対する警笛ではないかと話題になっているのです。
私たちはそれぞれ何かしら魅力や才能を持っています。
しかし現代社会では、それをどこかに押し込んで周りと同調した生活を強いられるために私たちは本来の力を発揮することができません。
押し込められた力をついに抑えきれなくなり、これが結果的に周りに災いをもたらす「脅威」として読み取れるのだそう。
しっかりと活かす機会を持たないと良い方向に発揮されることはなく、むしろあるべき姿とは真逆の方向に向かってしまうのですね。
また、自然破壊に対するメッセージとしても捉えられています。
人間界で暮らす龍族はその力を抑えられて生きてきたことから、潜在意識上でフラストレーションが溜まっているのです。
それが蓄積すると、驚異的なパワーを持って人間たちを襲うという結果をもたらします。
これは自然破壊についても言えることでしょう。
人間たちが欲望のままに自然を切り崩していくと、いつかは災いになって降りかかるというメッセージにも感じ取れますね。
ジブリ映画ならではの深さとも言えます。
複雑な正体や生い立ちを背負う「ゲド戦記」のヒロイン・テルー。彼女の正体の謎がもたらすメッセージ性もまた奥深いものですね。