【風立ちぬ】死ぬ設定はウソ!?菜穂子が生きていたと話題に

どんなに壮絶なストーリー展開でも、最後は幸せなエンディングを迎えることが多い「ジブリアニメ」。

戦後の混乱と食糧難の中を幼いながらに生き延びようとした「火垂るの墓」は別として、悲しい結末を迎える作品は少数派。

それでも2013年に公開された「風立ちぬ」は、熱心なジブリ映画のファンでさえも居たたまれない気持ちになるようです。

なぜならヒロインの菜穂子が「死ぬ設定」になっているから…

これこそが「風立ちぬ」のハイライトになっていますが、残された菜穂子の夫・堀越二郎の気持ちを考えると何とも言えませんよね。

では、なぜ菜穂子は死ぬのか?その理由や原作との関連性について考えてみましょう。

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「風立ちぬ」は堀辰雄の小説がモチーフ

まず、「風立ちぬ」のストーリーは堀辰雄の小説を原作としています。原作でも堀越二郎と菜穂子が登場しますが、ここでも菜穂子は近い将来死ぬ設定なのです。

それはなぜかというと、菜穂子は結核を患っているから。ちなみに映画の舞台である20世紀前半は、まだ結核が不治の病として認知された直後でした。

原作の「風立ちぬ」でも同様に、菜穂子は結核に掛かっています。

主人公の堀越二郎と深く愛し合ってはいるものの、菜穂子の健康状態では都会で結婚生活を送ることはできず人里離れた結核療養所で過ごすことになります。

菜穂子の死に関しては詳細な描写がないものの、残されたわずかな時間をいかに2人で過ごすか苦悩する二郎の姿からは切なさが伝わってきます。

死を受け入れた菜穂子は極めて淡々としているものの、送り出す方としては悲しい限りでしょう。

ということで、菜穂子が死ぬことはまず避けられない展開になっています。

ファンとしては何らかの奇跡が起こって生き延びて欲しいところですが…

 

菜穂子が死ぬシーンは、あまり明らかにされていない

とは言え、菜穂子の死に関してはジブリファンの間で様々な憶測が飛び交っています。「菜穂子は死んでいないのでは」と疑いを深めるファンも少なくないそう…

確かに、彼女が死ぬ場面は詳細に明かされていないので視聴者としても「別の結末」を予想したくなる場面ではあります。

菜穂子は自身の病状や健康状態が深刻なレベルにあると悟り、置き手紙を残して二郎のもとを去ります。

その後、エンディングテーマの「ひこうき雲」が流れてストーリーは結末を迎えるのですが、なぜか菜穂子が息を引き取るシーンやそれを知った二郎の姿はどこにも見当たらないのです…

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恐らく映画製作の段階で、彼女の死は敢えてボカすように作られたのでしょう。

当時の医療レベルでは難病指定される病を患った菜穂子は、それでも二郎と幸せな結婚生活を送ろうと努力を重ねます。

美しいもの好きな彼のためにいつも身なりを整え、自身の衰弱が進んできた頃には頬に紅をさして幻滅されないようにするなど…彼女なりに非常に懸命だったことも見て取れます。

そんなひたむきな姿から、死というショッキングなシーンをまざまざと見せつけるのは「風立ちぬ」の雰囲気に合わないと判断されたのかもしれません。

日本の美学としてストーリー展開を分かりやすく伝えずにワザとボカして伝える手法もありますし、その方が菜穂子の人生を良い意味で伝えやすいと製作側は思ったのでしょう。

菜穂子が死ぬシーンはそこで途切れ、舞台は数年後に移ります。

その時には既に二郎も彼女の死を知っていて悲観的な様子ですが、夢の中で菜穂子に「生きて」と語りかけられると感動して吹っ切れた雰囲気になります。

この場面こそ「風立ちぬ」の中でファンの心を最も強く打ったシーンではないでしょうか。

 

菜穂子は美しく死ぬ設定だった?

そんな菜穂子の死について、さらに考察を進めてみましょう。

他の映画なら命を落とす様子や病気についてもっと生々しく描かれるものですが、菜穂子の死に関しては非常にはかなく線が細い感じがしますよね。

これこそが「風立ちぬ」の特徴ですが、それにしても淡々とし過ぎている感も否めません。

しかし、製作者側には次のような意図があったようです。

「菜穂子はのように美しく死ぬ」

ここで2人の馴れ初めを確認すると…

二郎と菜穂子は結婚する前に1度会っています。震災でピンチに陥っていた菜穂子を二郎が助け、数年後に2人は再会

その再会の仕方もまさに運命的な出会いでした。飛行機設計者として研究にいそしむ二郎が避暑地のホテルで休養を取っていると、そこに偶然、菜穂子が現れて再会する流れになっています。

強い運命で結ばれていながら再び会うまでは接点がなかった2人。結婚してこれからという時に彼女の重病が発覚するわけですから、何ともやるせ無い展開でしょう。

そんなストーリー色もあってか先述の通り、皮肉的な菜穂子の死を詳細に伝えることは避けたと推測されます。

また原作においても同様で、菜穂子は美しく死ぬ設定になっています。

 

宮崎駿の想い…菜穂子が死ぬことに反対していた?

「風立ちぬ」において、菜穂子の死は避けられないハイライト。ファンとしてはわずかな希望を持ちたいところですが、原作でもそうした展開を取っているだけに受け入れるしかないでしょう。

ところが映画製作の段階では、彼女の死を避ける計画もあったそうですよ。

宮崎駿が菜穂子に感情移入してしまい、当初は死ぬ設定を何とか変えようと意気込んでいたらしいです。

この宮崎駿。実は、映画の製作段階で登場人物に感情移入してしまうタイプとして有名なんだとか…

そういえば「もののけ姫」の悪役として登場したエボシ御前。実は彼女も、もののけたちとの戦いで命を落とす設定だったところ、重傷の末に一命を取り止めています。

もちろん彼女も宮崎監督のお気に入りだったそう…

ただし「風立ちぬ」に関してはそれを繰り返すわけにはいかず、残念かつ悲しい結末に仕上がったようです。

 

風立ちぬのテーマ、「生きねば」の意味

そんな物悲しいストーリー構成ではあるものの「風立ちぬ」のキャッチフレーズは「生きねば」。

失意のドン底にいた二郎の夢の中に菜穂子が登場し、「生きて」と伝えるシーンもありましたね。

つまり、どんなに辛くともこの世に生を受けたからには「生きなくては!」と言う意味です。

「風立ちぬ」の世界観とストーリーから、そんなメッセージ性がひしひしと伝わってきます。

だからこそあれほどの悲壮感を漂わせながらも人気が衰えないのでしょう。

悲しくも美しい菜穂子の死が特徴的な「風立ちぬ」。重病に侵されながらも一途を貫いた菜穂子、そして彼女を失いながらも前を向いて生きようとする二郎。

そんな2人の姿は現代社会でも私たちの心に強く響くものがあります。

辛くなったらこの映画を観て、生きる意味をゆっくりと考えてみても良いかもしれません。

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